日本人がタブー視する問題だからこそ発言します。

ここ数日は日中は夏の暑さ、朝晩は涼しいという、またまた風邪をひきやすい気候でしたが、それほど感染症の数は増えていないようです。まぁ朝晩すごしやすくなったので、躰の変な怠さを感じにくくなり、検査数が減ったという事実が裏に隠れていますが…

最近のニュースでは、感染症の事よりも、日本人は特に政治と宗教の思想は人にいったらタブーだよ、とされている問題のニュースと女王陛下の件ばかりですね。

女王陛下に関しては本当にとても立派な方だったのだなぁと感じます。なくなる2日前までしっかりと大切な仕事をされて、あのような国を支えている素晴らしい方たちが、各国を見回すともう結構なご高齢の方たちが多いので、企業にしても、外国の富豪にしても、トップクラスの人達がだんだんと世代交代が進んでいき、どんどん切り替わりや人の思想が変わり、行動も変わっていくのだな、という感じはします。

だからこそ、私達日本人は自分のアイデンティティーを高め、しっかりと腹を据えないといけない時代に入ってきているのでしょうね。

そこで、今日はタブーでしょうけれど宗教の話をします。

宗教は、もともと太陽を拝み、朝日に感謝し日中仕事に励み、夕日に感謝し、休む、というその太陽を崇拝する太陽神が母体でした。だから、天照大御神が大本の神様と教えられています。エジプトだとラーとか、ギリシャ地方だとアポロンとか、インド地方は月の神様信仰が強くアッラーで、もっと宇宙神などもいるのですけれどね。そうやって世界中は太陽や月といった大いなる自然の神をたたえる、それだけシンプルな事が始まりだったのです。

そして、日本は天照大神、つきよみのみこと、ニニギノミコト、大国主の尊、日本武尊などなど、多くの神々、八百万の神と言いますから、本当に多くの神様を崇拝している元がありました。太陽と月があり、森羅芭蕉の出来事があり、お米が育ち、国を安泰に治め、戦いに勝ち、病を平癒してきた、それらは神様、仏様あってこそだと、神仏を分けたり、参拝の仕方も正式ではない方法を取り入れはじめて、日本の本来の宗教を隠し始めてしまった明治以前はよりより強く自然の恩恵、偉大な力を感じていました。

大昔は、だいたいの人が挨拶では、おかげさまで、なんていう言葉をかわし、このおかげさまは、神様、仏様、ご先祖様、支えて下さる人々のお陰様です。という陰の力のお陰で私たちは無事です、という意味もあったのですが、今はこのお陰様で、は40代以上の人からしか余り聞かない感じもします。それだけ、そういう日本人の本当の宗教心は消えて行っているのだな、と

だからこそ、何か不安、心のよりどころ、自分の胆が少し抜けている、そういう時に、とんでもない事に依存をしてしまうのでしょう。

私も、若い頃に新興宗教の洗脳に合ってしまったので、気持ちは分かります。なんでこんなに辛い事ばかりあるのだろう、神も仏もないのではないか、そんな気持ちがあると、そういう時にふっと入り込んできた誘いや言葉に心が揺れ動き、日本は素晴らしい誰でも入れる寺社仏閣があるというのに、会員しか入れないようなところに入り込み、身銭も魂までも吸われてしまうのでしょう。そして、自分のために投資できるはずの時間まで奪われてしまう事もあります。

異国の人たちは、堂々と私はこの神を信じています。こういう信仰心をもっていますと話します。日本人はそういった事は話しません。政治と宗教の話は喧嘩のもとになったり、辱めを受けるかもしれないから、人前で話さないほうが良いとずっと教育されているからです。

そして、裏でコソコソと少人数の時に勧誘をして新興宗教に誘い込んだり、ビラを配り、心が動揺した人の隙をついてくるのでしょう。中にはそれで救われている人もいるでしょうけれど、本人が幸せでも周りに迷惑をかけていたら、そして、自分はこれを知っている、この宗教の教えを知っているから凄いんだ、偉いんだと周りを蔑んでいたら、魂はどんどん荒んでいってしまうのでしょう。

例えば、お守りを持ち歩くのは良いけれど、そのお守りを飾ったり、そのお守りの前に座り込んで拝み始めたりすると、何だこの人っていう目で見られてしまいます。

でも、オリンピックや世界的な競技の場では、拝んだり手を合わせたりしても何も言われなかったりします。異国の人たちも堂々とそのような崇拝している行動を示しているからですし、努力あってこその崇拝とわかっているからでしょう。

ですが、日常で宗教的な信心深さを感じ取ると人はなんかやっちゃってるのかな、危ない人かな、団体とかに誘われないかな、と警戒します。

生活が満たされています、悩みはありません、自分の力でやっていけます、そういう考えの強い人は、誘われても入り込んだりはしません。家庭内で何か悩みがある、職場なりで悩みがある、そういう人ほど、不安や恐れから何かを始める事があります。

本来は、宗教は感謝から始めるものでしたし、毎日頻繁には拝めないから、代表で常日頃から国を思い、人を思い祈ってくれる、そういう人がいてくれると良いね、そういう毎日心豊かに穏やかに祈り拝んでいる人にお任せして私たちは仕事に励み、そいう人や自然に感謝しましょう、という事で、神主さんやお坊さんがいて、もっとスケールが大きくなると、天皇陛下が毎日朝な夕な国民を思って祈りの仕事も行っているのです。

まぁまぁ今は銭ゲバ神主や僧侶もいるでしょうけれど、本来はそうではなかったのです。日中は田畑を耕し、神様仏様にその日常の仕事以外でも御遣いするという霊的な修行もしっかりとしているけれども、現実的な仕事もしっかりしているという人が代表で霊的な仕事を担っていたのです。

だからこそ、ほとんどの祝詞やお経が感謝と仕事を頑張ろう、こういうことに気を付けようという内容がじっくりと読み解くと裏には込められているのです。そして、新興宗教の姿を見てみると、どうでしょうか、立派な開館を立てて、会員数を増やす事ばかり考えています。上の人たちが至福を肥やす事ばかりです。

宗教以外でも、本当に立派な経営者は小さな家に住んでいる事が多いです。京セラの稲盛和夫氏も大昔に一千数百万で購入したマンションにずっと住み続けていましたし、私の今の市に住む前に住んでいた時の市長の家もとても普通のお宅でした。近隣の普通の仕事人の家のほうが立派なつくりでしたよ。当時から変わった今の市長はとんでもない事を言ったりやったりして、今話題の団体とも繋がりがある人で、市長選び間違えちゃったね、チャンチャンって感じですけれどね。

だって、前の市長のほうが、顔真っ黒にしながら、体調平気かなって見た目なのに、人の悪まで背負ってお仕事頑張っていましたからね、今のそこの市長は顔色悪くないですもの。

別に、日本人はそういう事でやれあそこの宗教はなんやかんや、政治家がどうだこうだと争いが始まったり、国内で宗教戦争などは起きないです。これは本当にありがたい事です。ただ、政治家が一名やられてしまった事をきっかけに今の騒動です。

きっと、そんな宗教戦争や間違った思想、魂を傷つける行為、間違った行動が増え始めたら、神仏が本当にお怒りになり、天災を次々と起こすでしょう。

あっ

起こり始めている、そうだもう怒り始めているのですよ。

この怒りを鎮めるには、私達が精神性を高めるしかないのです。代表で日本は祈ってくださっている方々が多くおります。一般庶民が日々祈ることが大切なわけではなく、日々、すれ違う人、出会う人の幸せを一瞬で良いので祈る事、自分の住んでいる場所に感謝する事、過去の出来事に対してあれはあれでよかったのだ、とドンドン思える事、怒りも許せること、悪事も許せること、自分自身も多くの人も許し、自分の仕事に励む事、休む時はしっかり休み、自分を満たす事。時には神社に行ってお礼を伝える事、先祖に感謝する事。

そういう些細なことが個々の宗教心を磨き、人間性を豊かにし、争いの無い国、怠け者のいない国をつくり、国力も人間力も上がり、豊かな日本が出来上がると感じています。

今は、残念なことに薬や注射などの副作用で怠け者ではなく、やる気はあるのに行動が追い付かない、頭の回転が追い付かない、そのせいですごく仕事が辛い、自分の存在が辛いとなってしまっている人もいますが、これらも解決策はあるのです。

宗教に対する見方、角度を変えると解決していく問題は多くあるのですが、昨今のニュースの影響で日本人の宗教離れはますます加速していくような気もします。私は何を信じています、それが堂々と言える人こそ強い芯をもっています。それが間違ったものを信じていたとしても、シンプルな方法のなかにこそ、解決策は隠れている事が多いのです。

日本は多くの神社と仏閣がありますから、お堂もありますし、ふとそこに意識がいった時に手を合わせる、そういう手を合わせられる自分の心のゆとりも大切なのです。

神社には必ず鏡がありますカガミ真ん中のガを抜くと神になる、一瞬でも手を合わせ、人や世の中の幸せを思い、おかげさまでと感謝し ガを抜く、我を抜く、すると我即神となれるのですから。

だからこそ、どんなに祈ろうとそこに真実を感じられず、心がなければ、行事でしかなくなるのです。

年中行事をしっかりやっています。真面目にしっかり生きています。守る事を守っています。なのに、なぜこのような辛い目にばかりあうのですか?

いやいや問題はそこではありませんから、どこに心が向いているか、辛いと感じる出来事の中から何を学び感じ取り次の行動に移したかで変わるのでしょう。

罪穢れは本来、いい事をしている人につくからこそ、払えますよという問題が隠れているのですから、良い事をやっている人ほど、罪穢れが付くことがあるのです。

悪い事ばかりの人は罪穢れを払うチャンスもなく、どんどん蓄積し、ヘドロの様になり、命の危機に面した時にそれが一気に爆発して助からないという事もあります。

高原検査をやらない医師がいます。自分は安全な所に身を隠し、看護師に検査をさせ、陰性でしたら、診察室へと、看護師を何だと思っているのでしょう…

病気を否定して恐れて、人とのかかわりをたち、人に合わないで良い仕事方法に切り替え、病気から逃げるように人を避け始めた人もいます。人が来なくなってしまったから仕方なく仕事方法を切り替えたのなら生きるために仕方ないですが、合いたいという人がいてその人はちゃんとお金を払ってくれるのにそれを避ける、リモートならと合ってもいないのにお金を取る、そのやり方は本当に振り返るとこの数年またまた国力や人間力を日本は下げたな、とも感じます。

ただし、過信して休みを入れず食事も少なく働き続けるのは私の様にバテますから、休む事も学びましょうね。

人があってこそ、世の中が廻っているのに、そういう人は罪穢れからは逃げられても、芯の御霊磨きができず、ずっと同じポジションのまま学びが減ってしまうのでしょう。

だからこそ、良い人には問題が時々発生するのですから、日々、辛い事や嫌なことがあったとしても、本当に大切な時、ここぞという時に守られるという事が起きて、そういう事があるからこそ、より感謝できるでしょう。毎日ラッキーばかりでそれが当たり前になっていたら、人は感謝をしなくなりますから。物語だって初めからめでたしめでたしではなく、紆余曲折あって、最後にめでたし、めでたし、ですから。

病気も、遊び惚けてなったか、世のため人のために自分を後回しにしていてなってしまったか、家族のお世話をしてなってしまったか、そこでも違うのです。

善い行いをしている人がなってしまう病気は、罪穢れを引き受けてあげた、あなたなら、罪穢れを引き受けても、学びそれを成長のかてにできるから、すぐに払えるから、引き受けさせられ、そういう時は、体調が良くなってからでよいので、近所の神社にお参りに行ったり、おかげさまで元気になれましたと感謝する。それだけで良いのです。そいう心持ちの人がどんどん増えていく事が、本当の心の教え、真の明るい宗教なのです。

罪穢れはそこら中に溢れかえっています。避けて通る事もできますが、学び発展できる人にはやってきてしまうのです。なぜって、良い人は知らずに人の罪穢れを払ってあげているから、罪穢れを払ったら、払ったそれはどこに行くのって、なるでしょ、だから、その払ったものをさらに強く払える自分になるためにも、自分を強く持つ、強く信じられる何かを身に着けていく、ピンチをチャンスに変える、病からも学ぶ、避けるのではなく、学び自分を強くして最終的に引き受けても跳ねのけられる自分になる事が大切です。

教祖や団体は実は経済的な側面で有効であり、真実の宗教の側面では国を揺らし、大地を揺らし、天変地異を起こさせ、人々に気が付かせる機会を与える起爆剤になってしまいます。

歴史を振り返ると、何かあがめられたり、崇拝される強い人が出た後はたいてい天変地異などが大きく起こっていますから。誰かや何かを崇拝しすぎると魂が抜けてしまいます。それは我がぬけるとは違うのです。

だからこそ、ああしなさい、こうしなさい、とは偉大な人ほど言わないでしょう、自分の後姿を見せて、あの人何やってるのかな?真似してみようかなって、ついてくる人を知らずに救っているだけです。

メディアに煽られるのではなく、自分を見つめなおせる目を持てると世界中良くなれるのでしょうね。

世の中にある事に不要な事はないから、何を感じ取るかが大切、感じ取れる自分になり、洗脳ではなく、ちゃんと学び、強く信じるものをしっかりと持ちたいなと感じます。