love安堵peace そこに愛はあるんかい?

今日は戦争と平和のあまり話さないほうが良いお話をスピリチュアル的な要素も交えてブログします。

今まで本当に間違った祈りをしてしまっていたなぁと最近はつくづく思う事が増えてきました。

人間だもの、間違えもするし失敗もするからこそ、そこを反省して修正して、進化発展していく事の方が大切なのでしょうね。「私失敗しないので」の人だって良く見ると失敗していないのではなくリカバーが早いから失敗していない様に見えていましたからね。

私が反省した間違えた祈りは世界平和という祈りと願いです。2019年の夏に三十三間堂に行ったのですが、その時に護摩焚きに使う木に世界平和と願いをかいて千円奉納してきましたが、今となってはこの願いの間違いを本当にヒシヒシと感じています。理由は後述します。

2011年東北震災からスピリチュアルに目覚める人が増えてきて、占いやら御朱印集めやら、昔は一部の人達しか興味を抱かなかったことなのに、最近はスピリチュアルに対して抵抗のない人が増えています。そして、世界平和を願う人達が世界中にどんどん増えています。

それなのに、犯罪は減りません。自然災害も増える一方です。

そういう不幸が増えれば増えるほど人々は世界平和をさらに願います。今は戦争が起きてしまったので、世界平和、早く普通の日常が戻ってほしいと願う人ばかりです。

ですが、人間の潜在意識や心理を読み解くと、願うという事はそのことが現実に起きていないから不足を補うために願う、という事に繋がり、今おきている事をより強く引き寄せてしまうから、不幸の方を引き寄せてしまうという現実の日々が続いてしまうのです。

だからこそ、願うよりも感謝する、今生きていられる事、命が繋がっている事に感謝して助け合うことが大切で、何とか生きています。借金を返済しながらコツコツですが生きています。病気だけれど何とか生きています、と色々な状態だとしても今に感謝して、その感謝の積み重ねが出来つつも引き寄せの法則を上手に活用できる人から生活が良い方向に変わっているのが真実です。

なので、今こういう状態が嫌だからこうなりたいという願いだと、嫌な方を引き寄せやすくなってしまうから注意が必要なのです。嫌な現実を乗り越えるために行動をする人の方が、法則に頼り机上の空論の人より成功するのでしょう。

なのですが、世界中の多くの人は今の嫌な状態の方を見つめ過ぎているから、ウイルス騒動も収束は中々しないし、戦争も終わったと思ったらまた違う地域で始まるの繰り返し。

平和や平等にするには、全てを同じにするしかありません。平とは凸凹のない平坦な状態だから、凸凹をなくしてみんなを同じにするしかなくなってしまうのです。それには個人的には好きではないのですが、共産的な考えがつきものになってしまいます。

だからこそ、欲張りすぎないことが大切ですが、歴史を振り返ると欲張る人がいて戦いがあったからこそ今の日本の状態があるとも言えます。

戦国時代は日本という国が一つではなく、今よりも土地の区分けもトップに立つ人間も多く領土争いばかりをしていました。そして戦いが続き、国が一人の大名のもとに統治されてから戦国時代よりも平和な時代になったのですから、世界平和を望みすぎてしまうと、世界を一つにして統治してもらわないといけないから、国と国が領土争いを繰り返して勝ち残った一番強い国の人が世界を一つに収める形になりかねません。

世界を一つにするには、トップを一人に選任することになるから、トップになりたい人同士の戦いが始まり、国民が戦いに巻き込まれてしまうのならば別に世界は一つでなくても良いと私は考えています。

せぇかいぃはひぃろい♪せぇかいぃはひぃとぉつ♪何て平和に聞こえて実は危険です。世界が一つになれてみんなの心が一つになれて協力し合えたらそれは確かに平和で良いでしょうけれど、そこに達するまでの道筋には危険が伴う覚悟が必要なのです。

小さい幸せで終わらせられない人たちが徒党を組み、戦いに明け暮れて天下を取って世を収めようとしていたから長い事戦いが続き、織田信長→明智光秀→豊臣(羽柴)秀吉→徳川家康とトップが決まりそのトップが戦いをしないでいてくれる世になると、よその地域の良さも色々取り入れやすくなり生活は暮らしやすくなっていきました。

そして、新選組やらが出てきたり、黒船が来たり、日本も他国の貿易に興味を持ち始めて、徳川の世も終わり、ちょんまげの人がどんどん減って西洋文化が入り込んできて、調子に乗って日本は戦争をしたり色々とあって今があるわけです。

だからこそ、世界平和を願いすぎるのは少し考えものになってしまう裏側が見えてきたのです。願うのは自由ですが、本当にそうするためには戦争が必要になってしまうのです。対義語で戦争と平和はワンセットであるように、完全なる平和を築くなら、戦争が必要になるという側面が出てしまうのです。

もう、願うなら世界の平和というよりも、一人一人の人間的な平和を願った方が良いとの結論に達しました。

国のトップで国の状態は決まってしまいます。日本は今はまだ良い方です。なんだかんだ文句を言いたくなる政策ではありますが、医療制度も充実しているし、福祉や教育だって手厚く感じます。ベーシックインカムを試験的に行っている他国もありますが、日本はずっと前から生活保護制度というものがあり、助けを願い出て保護されるに値する行動をしていれば、働かないでも普通に生活が出来てしまうのです。フランスやスイスみたいに教育や福祉をもっと手厚くしてというなら、他国の様にもっと税金を上げないといけなくなってしまいますから、それも大変です。

世界規模や大きな規模で物事を考えたり、見る事は大切だとは思いますが、そこに思いや祈りを載せすぎると、その思いが重くなり、大きなひずみを生んでしまうという事にエセスピリチュアル系の人は気が付かないでいます。

スピリチュアルは魂の勉強なので、不思議な世界の事を知り、魂を磨くには裏側もしっかり知る必要もあるのです。綺麗事ばかりでいると騙されるし、騙す側に回っている人もいます。人の悪口や陰口を言う必要はないけれど、自分がそういう人に関わらないで済むように、本当の情報を吟味して前に進むしかないです。

スピリチュアル系の人は、かなり偽善的で綺麗ごとが好きで、逃避的な傾向の人が多いから、非現実的な事にお金を惜しまず出してしまう傾向があります。私もどちらかというとそういう傾向があり、新興宗教や霊感商法に騙されたことがあります。本物と偽物を見抜く目が必要だと本当に感じます。

偽善的で綺麗ごとが好きで逃避的な私は、戦争は嫌だと思いみんなが幸せなら良い、辛い事からは逃げたいと常日頃思っています。

だからこそ、世界平和をとても願っていました。それが間違いだとも気が付かずにずっとずっと願い、祈り続けていました。

ですが、戦争は嫌でも世の中から戦争は失くせません…嫌だと言っていても私には戦争を止められる権力もありません。

それに、もしも権力があっても「戦争はダメだ継続可能な世の中を」とか国連で言いながらも、どこかの戦争が終わってもまたどこかで戦争が始まり、世界から戦争を失くせないのを黙認するのでしょう。戦争は一部の権力者がとても得をするから腹黒く口では綺麗ごとを言いつつも高みの見物で権力を利用して安全な所からああだこうだ言うだけでしょ。

しかも、政治家や社長業やら芸能人は占いやスピリチュアルに強い興味を持っている人が多いです。

だからこそ、現実的に考えて変なスピリチュアルやオカルト商法に騙されないためにも、世界平和を望みすぎるのを止めよう、と気が付きました。

人の幸せを願い、祈る事は大切だけれど、人の幸せを願い祈れる自分自身なのかも自問自答することも大切で、世の中には平気で旦那なり妻なりを欺いて不倫をしているのに【家族が幸せになります様に】なんて絵馬に書いちゃう姑息な人もいます。

そういうことを平気でしている人ほど、現実逃避癖が強い人が多いから、「エネルギーを流します」「遠隔でヒーリングします」「世界平和を祈り愛と祈りを毎日送るヒーラーです」とかって詐欺的なビジネスを平気でしていたり、躰を触る業界だと、少し身体の事を習っただけで、どこかで働いた経験もほぼ無いに等しく、認定取得から月日が浅いのに平気で開業して情報弱者の人をカモにしている人もたくさんいます。

そういう人たちは、インスタグラムやフェイスブックを活用して行方をくらましやすいSNSという媒体で商売をしている人がたくさんいるので、安さを売りにしているか、逆に法外な価格設定のインチキグラマーやフェイクブックにも注意です。

だからこそ、生活が乱れ精神がおかしな人、正常な判断を出来ない人を相手に詐欺まがいな商売ができるのでしょうね。類は友を呼ぶから、まともじゃない人はまともじゃない人に助けを求め、冷静な周りの家族がより心配しちゃうでしょ。

不倫や浮気は個人の自由。文化かもしれない…それを愛と思う人もいるでしょう。理性を超えた愛。

でも誠実でまともな人はちゃんとお別れして一人と向き合うでしょ。不誠実な事をする時点で精神がおかしいからカウンセリングを受けた方が良いです。変な霊能者に縁切りとか復縁とか依頼しないほうが良いですよ、頭おかしい事すると体調不良になりやすくなるからね。

そういうヘンテコなエネルギーが、世界を混乱に貶めているんじゃないって感じる今日この頃です。

普通に目の前の仕事を丁寧に行い、現れたご縁に感謝し、自分に出来る事を毎日積み重ねる、現実を積み重ねる、それが大切。

もう、世界平和を願い、罪重ねるスピリチュアルの危険性に気が付いて、終わりにしてくれる人が増えれば、世の混乱は減るのにな、と感じました。