生まれながらに不幸な人はいない、不幸なのは自分をしらないだけ

毎日寒暖差が激しすぎます。朝晩寒いのに、日中は暖かかったり、昨日と今日での温度が違いすぎたり、年々、温度差が激しく、エアコンの使い方次第では思考力の低下、ボケ、体調不良が起きそうです。天然ボケの私は老後ボケても気が付いてもらえず後で困りそうなので、今のうちから病的なボケ対策には気を付けています。

今日は幸せと不幸という論争を醸し出しやすいテーマですが、ブログにする事にしました。

最近は刃物を持った男が近所に出現したり、オミクさんの影響で学級閉鎖のため仕事を休まないといけない人が出たり、世の中の混乱にどうしても立ち会ってしまう人が増えている様に感じるので、運命や現象について、私が師匠から聞いたことや私なりの解釈を交えて考察していきます。

といっても私は振り返ると世間が荒波の時ほど力を発揮する生まれを持っているため何とかなってきているので事件現場やらに遭遇した事はないのです。

世間がバブルやら偏差値やらの頃は色々と嫌な事はありましたが、それは自分の人生というか、自分自身を知らずに周りに振り回されていた頃なので、振り回されることへの感じ取り方を少しずつ修正できるようになってからは変わってきました。

だからこそ、運って変わるよなとか 不幸って本人の定義で不幸になるよねって、感じたからこそ辛い辛いと嘆いて余計自分の人生を不幸にしている人が減ると良いなと感じて発信しようという思いにも至ったのです。

東北震災の時に家に帰れなくなったことはありますが、その時でさえも食事やホッカイロ、暖を取りながら寝る場所を提供していただけて、なぜか避難所では自分の周りに人が集まってきたりで助けてもらえて不謹慎ですが、貴重な体験をさせて頂けました。

プライベートでは予定をきっちり立てずに、着の身着のままに行動しているので、乗る電車や車両を変える事や、フラッと寄り道したり、行く場所を変える事はよくあります。変えた事で難を免れていることが多いという事もあります。

ただし、こだわったり、焦ったり、絶対にこうしたいと思いすぎてやってしまった行動に関しては難を招いたことはあります。

約束や予約をした場合は変更が病気的な事やトラブルではない限りは、その通りに行動しますのが、休日の過ごし方などプライベートに関してはコロコロ変えるようにしてからの方が、スムーズに感じています。

だからこそ、そういう臨機応変が出来ない人とはプライベートでは付き合わない様にしています。そこにパートナーが出来ない要因も絡んでいるのかもしれませんが、無理してお付き合いすることほど不幸なことはないので、そういった所でも不幸はさけています。一応大人なので我慢することはしますけれど、尊重し合えない人とは付き合わないほうがシンプルに幸せに生活ができます。

若い子は別れが辛いとかで下手な彼氏とズルズル自分を殺して付き合っている子もいると思います、我儘な彼女に振り回されて仕事の成果を下げてしまっている男性とか、それはあなたの運命ではなく不幸を招いているだけの行為なので、なんで自分は不幸なんだって嘆かないでください。誰のせいでもなく、間違いなく決断と選択をできないあなたに問題があるだけです。

金運、仕事運、恋愛運、健康運、対人運と大きくわけるとこの5つのテーマが占いにはよく出てきます。人間が常に悩み葛藤を続ける人生のテーマであります。

それはとても大切なことです。悩むこと、葛藤をする事は実は大切で、悩みや葛藤を笑いに変えられる人生にしていく事を経験として与えてもらっているのですが、それを避けたくて占いを活用する人もいます。

根本的に占いを始めたりするきっかけが、不幸な事もあったけれど、でも振り返るとなんで自分はこんなに運が良いんだろう、運命とかってあるのかなぁと思った時に占いを学び、占い師になるのは本当に良い占い師の誕生で人を救えてよいのです。

ただし、世間に多くいる占い師で運命がどうこう言う人は、不幸な人生を変えたいとか不運を避けたいとかで占いをやっている人が多いところが残念なのです。

だって、そういう残念な占い師は生年月日やらホロスコープで様々な流れや運気を見てあげて、マイナスの事を言うようになってしまうから、マイナスからマイナスが生まれてしまうのです。マイナスからプラスを出し、プラスすぎる人にはマイナスも教えてあげる、それが本当はバランスを取れて良いのです。

そもそも幸せと不幸の概念が自分事ではない人は完全な幸せにはなれないのです。エジソンやファーブルはもしかしたら現代人だったら不幸かもしれません。

昆虫が好きすぎると変人扱いされたり、一つの事だけにのめりこんで研究をしていると周りがからかってきますし、SNSやらネットで偉人変人はネタにされてしまう時代です。親や周囲はADHDなのかしらとか、詮索してくる時代にもなってしまいました。寛大な親元で育てれば良いのですが、親が寛大でも親子で変人扱いする周囲もいるのが昨今です。

多様性を認める時代とか言いながら、問題があると精神性の病気とか何かのせいにして逃げる、逃がす、それでは本当の幸せを得にくくしてしまいます。

1日中昆虫を見るのが好きなら1日中そうしていても良いのです。それが本人の幸せなのだから、周りが何かを言う事で本人が周りを気にしだして窮屈になったり、自己判断できなくなるから不幸になるだけ。

幸せや不幸は自分が決める事と気が付いた人から幸せになれるのに、運命だからとかそういうので決めつけるのは本当はおかしいのです。

どんな運命の人も自分を知り、自分らしく生きていれば根本は幸せなのです。

なぜ、不幸な人がいるかというと周囲が「あの人って不幸ね」というからだし、この枠から外れていたら不幸だと勝手に決めるから、自分は不幸なのかなって思いこんで殻に閉じこもって不幸だって勘違いし始めて、強盗したり嫌がらせしたりしてしまうのです。

どんな環境にいても、幸せなのです。その環境を選んでいるのは自分なのだから、不幸だと思う環境なら抜け出せば良いだけであって、抜け出せないわけではなく、その環境の中にある幸せも見つけられない、未来への希望を抱けない、行動を起こさない、だから不幸になっていく。それだけです。コロコロ変えて良いのです。

やりたいことがあるのなら、やれる自分になれば良い、やれない自分を責めるのではなく、焦るのでもなく、今はやれない事が最適なタイミングであり、今やっている行動や出会っている周りの人たちは自分を幸せにするための登場人物なのだと気が付ける人が本当の意味で幸せになれる。

そういう風に幸せでいられる人の周りには良い人しか集まらないし、嫌な人がたとえ近づいてきたり、そういう時期があったとしても、自分をしっかりと持ち、運命を受け入れて幸せに気が付ければ、共に幸せに迎える人とご縁が繋がってゆくので大丈夫なのです。ご縁や流れもコロコロ変わるのです。

良い人ぶる必要もないし、嫌な事を人にわざわざする必要もないのです。非常識な人は、意地悪をしようとして意地悪をする人ですから、嫌な事は嫌だと本人にハッキリ言う、非常識な人は注意をすると無視するか怒るから、でも常識的な人はゴメンネってなります。だって、意地悪したくてしたわけじゃなくて相手がそう感じちゃったのだから…非常識な人は残念な人だなって放っておいて関わらなければ良い。勝手に相手も離れて行ってくれるから大丈夫です。コミュニケーションが苦手で意地悪する気でやっていないのに勝手に相手が意地悪と感じてしまう事もあるのは可哀そうだから、ちゃんと本人に教えてあげる事も大切なのです。本人に言わないで陰口言うなら、陰口言う人の方が意地悪で不幸な人です。

女子の会話でマウントとか、会話を奪うとか重ねてくるとかアザトイとかあるようですが、そういう風に感じること自体そもそも感じる本人が少し病んでいる時なので、自分に愛をたくさん送りましょう。自分が幸せなのだとしっかりと実感してあげましょう。人と比べるのではなく、自分を味わって楽しむのです。

穏やかな人って何言われてもほわわわぁぁぁんってしていますよ。悩みがないわけではないんだけれど、色々な事を良い方向にとらえられるから、だから本当に幸せそうで一緒にいて楽しいし、ほわんとしてるから眠くなる時もあります。

そういう穏やかな人はマウントをとったり会話を奪っているわけではなく、感じた事を素直に話しているだけなので、話を聞いていて気持ち良いです。あ~そうなんだ、そういう幸せなことがあったんだぁ 良かったね。そうなんだ、もっとよくなると良いね。楽しいねって。

なのに、そういう幸せ話とかを自慢とかマウントって感じるなら、感じる人の心が病んでいるので自分の幸せを減らしてしまいますから、そういう事にも気を付けた方が良いのになって思う事もあります。人の話を素直に聞ける人はどんどん幸せになるよって私は師匠に言われました。男性を睨んだり、疑って嫌な視線で見てしまう所がある私に、そういう目で人を見てはいけないよ。どんな人も愛のまなざしで見るんだよと言っていました。

不幸や幸せは現象の捉え方にすぎず、事実ではないのです。本人がその現象をどう感じるかで何があっても幸せな人は幸せに強くしなやかに生きていくのでしょうね。

混乱の世と言われる時代に突入したようですが、混ざって乱れる事も楽しいと感じられれば、それはそれでフルーツポンチな世界なのでしょう。

世界中の人が愛のある人たちに囲まれて幸せであります様に。