私は、実はストレスを手放すのが得意です。
別にストレスに対する学びや
コーチングを受けた事は一切ありません。
整体・治療・気功・神道・仏教・占い・等々
色々なセミナーには参加してきました。
何故、自営業者なら受けた方が良いという
コーチングを受けないのか
コーチングを受けると
主従関係が出来るからです(笑)
これってストレス…
自営業者たる的なマインド
役割分担的なコーチング…
自分から不要なストレスには
向かいません。
自分を駆り立たせるストレスは
たまに自分にあげます。
自分の嫌な所
自分の弱点 意外と自分でわかってる
でもね、それを何とかしよう
なんて今はそこまで思わないのです。
何とかしないといけない時は
何とかするし、何とかなる。
期待する事 役割分担する事
そこに亀裂が生まれる事が解ったから。
あまり期待しなくなった
あの人はこういう人って
役割決めつけないのが楽
人ってね、自分の事を一番
解っている様でわかっていないんだよ
だからコーチングは良いよ
あのセッション受けたら
スッキリするよ
って???
人ってね 自分の事
意外とわかってるよ
わかってて、でも見るのが嫌だ
怖いから見ないだけなんだよ。
セッション受けてすっきりしたのは
自分が解ってた答えと合ってただけ
答え合わせできた安心
これが答えです。
別にさ 答え何てどうでも良いのさ
合っていようと 間違えていようと
私は何者でもないんだし。
●か✖か 善か悪かで生きてないし
そんな答えや役割ばかり探してたら
ジプシーになるよ
実際答え合わせがあっていない人が
コーチング辞めてる様に見えるし…
違うコーチ探し始めちゃう人もいるし…
自分のコーチは自分でないんかい???
おかしい時は身体の痛みで教えてくれる
感情もイライラやモヤモヤ、シクシクと
自分の事は自分が教えてくれる。
そんな時 相談できる友達
相談できる人に会いに行くだけで
良いんじゃないのかな
身体だって自分が楽になれる方法
整体なり、ボディトリートメントなり
汗を出すなり、ヨガなり
相性に合ったことをすれば良いだけ
ダイビングインストラクターを
目指したときに感じたのですが
インストラクターになるには
段階がとっても多くあるのです。
アドバンス→レスキュー
ダイブマスター→アシスタントインストラクター
インストラクター
と進むうちにも他にも色々
コンパスナビやら沈潜やら
すごいすごい色んなのを取るのです。
教える人 教わる人の
役割分担に分かれて人間関係が構築
そういう主従関係を感じました。
教える人の言いなりですよ。
で、もう やめよってなる人もいる
すると
教える人が 他の人に
あいつは逃げた とか
何とか言い出す人も中にはいるそうで…
コーチング業界も似たような
成り立ちの様です。
色んな段階 名称を受けて
あれもできるよ
これもできるよ の コーチになる、
で、もういいや
コーチングそこまで学ばないでも
ってなると
他の生徒さんを手放さないためか
あの子はね、学びから逃げたのよ
なんて言うコーチもいるそうです。
ううん ちょっとね…
自分のお客様の悪口を言う人って
どうなのかな???
って思うのですよ
皆生き方は様々でしょ。
なんで勝手に
生徒さんはコーチングを学び切る
と決めつけるの
勝手にその人の人生の役割決めるの?
何にでもなれるし
何にでもならなくても良い
それが人生。
その目線で人を見られる人が
師なのではないのか?
そう私は思うのです。
だから
私は、ご職業は?と問われたら
整体師です。と言う
家族の中では
叔母であり、次女であり、娘
と言う
でもね、そこまで
この役割には執着していないのです。
執着するとストレスになります。
何者であっても
どう生きても
良いのです。
これ、私らしくない
と思うと
自分らしさを追いかけ
またジプシーになる
らしくなくて良いじゃない。
自分がその瞬間
心地よいと感じたのなら
それが答え
道徳的観念はみんな持ってるし
道徳的観念から外れた
らしくない
は心がすっごいモヤモヤするけれど
外れていないなら
楽しい
こんな私もいるのねって
解放が始まります。
全ての人が
自由に
誰かや何かに捉われず
ストレスさえも楽しみ
ストレスから解放される
そういうお手伝いもできたらな
と思います。
まぁ出来なくても良いんですよね。
期待しない
ただ
自分に関わった人が
幸せなら嬉しいなそれだけ