カムチャッカの若者がきりんの夢を見ているとき

今日はとてつもない異音が携帯から何度も鳴り響き、心の中で、だから、うちは津波じゃなくて大雨の河川氾濫警戒区域ですから、もう!!と何度もつぶやいてしまい、自分の小ささをまた感じました。

今年は本当に熱すぎます。気圧が異常ですので、体調不良を抱える人も増えてしまっている事でしょう…

私も、以前の不健康時代の私でしたら今頃グダグダでしたでしょうけれども、13時45分現在エアコンをつけずにキーボードをポチポチ叩いております。

お客様が見えた時しかエアコンは使いませんので、夜もまだエアコンは使っていませんが、よく眠れております。

冬も寒くてもお客様が見えた時しか暖房は使いませんので、絶対に暑がりや寒がりの人とは一緒に生活できないし、ペットも飼えないでしょう。

以前にもスマトラ沖地震の影響で日本も津波がありました、あの時の津波は今回よりもとても高く、日本でも被害者が出ました。

世界は繋がっています。

中学生の時に習った朝のリレーで、世界の繋がりを学びましたが、今回も、地球は自転しているから他国で起きている事にも目を向けないと色々な事がおきるんだな、と実感しました。

氣功の先生が、君は自分の躰の中に地球があり、それを愛せると心底感じられるかい、自分の躰、その体をまとうフィールド含めて銀河系だよと、言われ、毎朝自分のお腹に地球を意識して過ごしています。

かなりオタクな知る人ぞ知るの内容ですが、人間はエーテル体、モナド体、コーザル体と躰の外のオーラフィールドまで自分の躰の外まで自分の世界のフィールドがあるのです。

だから、周波数の低い人、被害者意識の強い人、病んでいる人が近づくとなんか嫌だな、と感じるのは、そのフィールドでなじめないからで、逆に自分が周波数が低い場合は近くに高い人が来ると、ピリピリしたり、なんか合わないな、と感じてしまうから、自分の周波数はなるべくご機嫌で高い方が良いのです。

全て繋がっているから、自分のフィールドは自分で守り、安全安心でいられる調整が大切で、繋がりのどこかが崩れると影響を受けてしまうという事なのです。

自分の周波数が良い状態ならば、低い人が来たら違和感でも自分の仕事をすれば良いだけで、低い人とバイバイしたあとに低い方に引っ張られませんし、低い人のほうがこのままの自分じゃ良くないな、もっとご機嫌な自分でいたいな、と思えば向上したいな変わりたいなと行動してくれて関係は続きます。

低いままで良いや、楽な方に行こう、努力する気はないから、自分の力じゃなくて誰かの力で良くなりたいな、依存したいなって人がよって来ちゃう人は、実はエネルギーや周波数が高いわけではなく、人を根本改善出来ていない高いふりしたバンパイヤな場合もあります。

話を聞くだけで人を救う事は実は出来ないし、褒めるだけで救う事も出来ないし、カウンセリングで人を救う事はできなくて、カウンセリング+コーチングができないと、その場しのぎになる事ばかり…

整体も、ほぐすだけではダメだし、筋肉刺激を意識する動作も少し組み込むことも大切だし、力加減も変えないとだし、全てはリズムで支配されているのだから、リズムや波長も大切です。

周波数も周りの波の数、という漢字の通りどっちに合わせるか、どっちに向かわせるかの調整が大切って事で、良い言葉を使っているから良いとか、お上品だから良いとか、それだけの性質ではなく、いかにコントロールするかにもかかっているところもあります。

攻められた、責められていると勝手に思い込む、過去を卑下する癖を治すのが先決で、地球がつなっがっている様に、過去現在未来も全て繋がっています。

そして、カムチャッカの若者がキリンの夢を見ているとき メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っているのです

そのようにして、カムチャッカで地震がおきれば太平洋側は津波警報が鳴るけれど、メキシコ人は休んでいるのです。

だから、自分の躰を地球規模、オーラフィールドまでを銀河系で見立てると、悪い事の起きている所は無視をするのではなく、そういう事もあるよね、良い事の起きている所もそういう事もあるよね、と安定させることも大切って事で

嫌な事があれば怒ったり落ち込んで当然、だけど、良い所もあるよね、で良いのです。

長いスパンでみたら、地球全体が平和な時もありましたが、今はどこかしらはネガティブなので、人間の躰だってネガティブはでて当然です。

人間は宇宙規模で何かしらの影響は受けるのですから。

そう考えると、じゃぁ、良い所の影響を受ける周波数に合わせちゃえば、ともかんがえられるわけで

ネガティブと感じてもそこから学んで次に活かせば良いし、ポジティブと感じても調子に乗りすぎなければ楽しいわけです

ただ、いま私の中ではなんで、フジサワのモデルなのワクチン工場は止める決断に至ったのに、同じ神奈川県で小田原の明治のワクチン工場はまだやめると発表していないんだというネガティブはザワザワしています

小田原って…貧乏すぎた過去の影響と河野政治の影響で健康よりも目先だけになっちゃってるな、と感じて市民性もそういう風な低波長に変わっちゃったのかな、と思うと、高波長な人の割合がふえてくれれば、明治のワクチン工場は藤沢みたいにやめるかな、と期待もしているのですがどうなる事やらです。

南足柄も、端子がくるから、なんだかんだ九州のTSMCの二の舞になって有明海苔から何も学ばず、酒匂川を汚し、小田原近海の魚も危険になっちゃうのかな…

反対運動をしてくれている人もいますが、いつも反対運動は通らず、あの会社がきたから、町の財政が潤ったって、自然の潤いよりも、健康よりも、目先ばかりです…

お金はもちろんあった方が良いですが、どういう手に入れ方かが大切ではないのでしょうか?

自然界に化学物質や不自然なものを発生させてお金を手に入れるのか、自然と折り合いをつけながら人を元気にしてお金を手に入れるのか、そこが大切な気がします。

お金も、健康も、自然も、環境も、全部循環しています。

どこかで揺れればどこかも揺れる、心地の良い循環に包まれるには、忙しすぎるをやめる。

忙しすぎる人のそばには波動が荒く低い人が集まりやすいから気を付ける。

洗濯機で洗うのと手洗いで洗うのとで布の持ちが違うのは、忙しく回しすぎていないから手洗いの方がものもちがよいし、繊細な布や高級な布は優しく洗って下さいと書かれている様に、良いものは雑に使っちゃダメなのです。

雑に扱われない良い人間になるのが楽に生きるコツでもあるのでしょう。

人生の半分はもう生きられました。

そのなかで誰にでも良い人なんていない事はわかりました。

人は、自分にとって都合の良い人に良くするか、本当に良い人にこの人は良い人だから自分も良い人でいなきゃとよくするかです。

もう、小田原と南足柄は政治家から汚してもよい、ダメにしても良い市とされてしまいはじめているのでしょうか、危険な工場が増えて財政が良くなるとの目先で騙されて静かで自然で空気が良いを失くしてしまっていくのでしょうか

人も街も安全になりますように。