毒親 毒友の見分け方

最近、ブログを2日おきくらいに書いているのですが、そろそろこのペースに慣れてしまった自分がいるので、また、しばらくブログお休みしようかな、とかも考えています。4月の19日のブログ以降は少しブログの頻度を減らしてみます。

今日は、人間関係についてお話していきます。色々と心理学の勉強もしましたが、ぶっちゃけ心理学って人を勇気づけもして良い行動にも持って行ってくれるけれど、間違えると、自己愛強すぎて周りや世の中の裏まで見えていない危険予知の低い人を作ったり、心理学を利用して人の心を楽にしているようで、人を甘えさせ依存させ、ヤバイ人間作りをしてしまう場合もあるのです。

そこで、毒親や毒友に気が付いていない人もいるし、自分の親は全く毒親でもないし、友達も毒友でもないのに自分に都合が悪いからって毒とか言う人もいるから、そういう所の着眼点が変わると色々と変わるよって事を伝えようと思いました。

まず、簡単に毒親や毒友の一番の定義は、見返りを求めてくるかどうかです。

つまり、「あれだけやってやったのに」をいう人、育てたのだから親孝行して当たり前、友達になってあげたのだから、助けてくれて当たり前、何でもかんでもやってもらって当たり前な人

本当に自分を思ってくれて接してくれる人は真っすぐな人です。だから、嫌われるであろうこともしっかりと注意してくれます。でも「あなたのために言っている」とかは言いません。自分が言いたいから言っていると自覚しています。

本当に思ってくれている人は「困るのは自分だから好きにすれば」という言い方をする人もいます。でも、困ると助けてくれるのです。

ただね、共倒れする助け方は絶対にしませんよ、助けても一時的な救済に終わり、その後が共倒れしたら意味ありませんからね。

何でも言う事を聞いてくれるから良い人なわけではないのです。その時に簡単に与えてしまったらその先の未来がどうなるかまで考えてしまうのです。

それで考えすぎて疲れてしまう人も世の中にはいるし、愛が強すぎて煙たがられてしまう人もいるので、そういう人を煙たく感じる人のほうが毒なので、気にする事はないとも考えます。

どんな人でも自分で気が付かないと問題は解決しにくいし、いつまでも良い人がそばにいるとは限らないので、困った人に疲れ続けるのは良い人にとっては勿体ないので、適度に息抜きして、距離を取ってお休みもしてみて下さい。

プライベートなお付き合いはお仕事ではないので、資本主義的にお金は発生しません。金銭という見える形ではなく、心の豊かさや繋がりといった深い見えない形の資産を与えてくれます。

だから、得しようとかって腹積もりで繋がってくる人は友達ではないので、そういう感じがしたら距離を取っても良いのです。

返報性の法則を利用してくる人にも注意です。一つのクッキーに対して高額なお礼になっていませんか?

これは業界でかなり使われている法則なのですが、与える側からしたらただより価値の無いものを無料で与えて、見返りを求める、〇べのマスク的な感じですよ。ばら撒いて大きな見返りを貰っているのです。〇べのマスクくらいわかりやすければまだ良いのですが、嬉しい嬉しいと受け取ったけれど、実はあげた側はゴミ処理をしただけで、もらった側が貰ってばかりだと申し訳ないと何かをしたい気持ちになってしまう。

毒を入れられている事に気が付かずに、ありがとう無料でここまでしてくれてと、毒を知らずに蓄積して、自分の宝を逆に毒を盛った人に差し出している人もいるのが現実にはあるのです。毒に気が付いてと教育してくれているのに、その教育をさけて文句を言う人の方が多いのが実情です。

お金はあればあるだけ良いですが、お金持ちの人に不幸な人が多いと言われてしまうのは、お金に群がる人ばかりと繋がっていると気が付いたときの刹那があるからで、本当に良い人以外は、お金やオーラが無くなった途端に離れて行く事もあるのです。

だから、何でもすぐに差し出せることが完全に良い事ではなく、先の事まで考えて人に提供できないと、お互いが衰退するのでしょう。

苦労している人は、先々まで考えて価値ある物事に投資するので、賢い生き方が出来るのですが、そうでない人は方向性が違います。

買い物にしても長く使えるものは良いものを買ったり、ここは節約してここには投資する、と賢い人は長い目で物事を見た使い方ができます。値段や見た目だけで飛びつきません。

だから、人間関係も見た目だけに飛びついたりせず、奥まで見抜いたうえでどういう距離感で接するのかを考えられるのでしょう。

生活が人に頼りすぎずに保護されすぎずに素敵に生きている人は、良い環境に恵まれている様に感じます。

最近の子は親ガチャあたり、とか世代ガチャはずれた、とか言った言葉がありますが、当たりか外れか、奥まで見抜けていない子が多いように感じます。

ただし、こういった事は経験の上で培われるものなので、すぐには身に着きません。

あとで親に感謝する人もいれば、あの人よりもあっちの人の方が本当は自分の事を考えてくれていたんだと気が付く人もいます。

良い学校に進学させてもらえて、努力せずに進めている様に見える子でも、裏では葛藤や苦労があります。これは親ガチャ当たりではないのです。実は毒親に行動や未来を支配されている場合もあるのです。本人は良い学校に進学したかったわけでもなく、親の期待に応えるために自分への努力ではなく行動制限を強いられていた場合もあるのですから、期待にこたえられなかった場合の白い眼が怖いのでしょう。

良い親なら、どんな状況になろうとも子供を愛のある眼差しでみつめますから大丈夫です。まぁ、がっかりはしますよ、何か失敗されたら、でもそれを長くは引きづらないです。子供に期待しすぎないです。

友達もそう、相手に期待しません。いつでも待っていません。

親でも友達でも、素敵な人たちは自分の時間を謳歌しています。それは遊び惚けているとかそういう時間の使い方ではなく、未来に繋がる自分も周りも豊かにできる時間の使い方なのです。疲れているのに無理に人付き合いして愚痴るくらいなら最初からその日は躰をケアすると決めるし、遊びに行くなら、楽しませてもらうではなく、楽しむと決めているのです。

私と同世代の人はどちらかというと世代ガチャ外れでしょう、就職氷河期だったし、ダメンズが貪っていたし、女性の自立とかめちゃくちゃ厳しく言われながらも男女差別激しくて、パワハラやセクハラが黙認されていた世代ですから。で、その世代の子供はコロナ入社といわれる年齢の子も多いでしょうし、親子ともども苦労ね、なんて分かち合っている家庭もあるかも知れません。

でも、私の場合は親ガチャは外れではなかったので感謝です。言いたくはないんだけどって親に言われると生意気な私は言いたくないなら言わないで、と言います。そうするとじゃぁ言わないと黙っていてくれるから、これって自分のためにはなっていないんだろうけど、いつでも私の事を考えて思ってくれる愛の深い家族です。

ただ、毒親や毒友は本当は可哀そうな人だってことに気が付いてあげられると自分も楽になります。

なぜ人が毒づいてしまうのかというと、愛情の欠乏からが一番の要因だから、愛情だけじゃなく何か満たされていない、そして自分で自分の事も満たせない、だから人に毒を盛ってしまうのです。

誰かに認められたいままでいると、世界一美しいのは白雪姫と言われ魔女になってしまうのかもしれません。別に自分で自分を認めてあげられれば良いのに。

人間関係は複雑に考えすぎると自分が疲れて、知らない間に毒を盛られて魂が死んでしまいます。自分を大切にする人が相手も大切に出来る。

ならば、無理せず求めすぎず、ふらっと心地よく生きたいものです。