自分を責めないで 悲しみと哀しみの違い

実は、月曜日に腰を少し痛めました…

玄関に荷物があり、そこまで大きくなかったのでしゃがまずに持ち上げようとしたら、18lの消毒液でした、気が付いた瞬間にはピキッと、重いものはちゃんとしゃがんで抱えて持たないといけませんね

いつもよりも痛すぎてこれ歩けなくなったらどうしようと心配しましたが、水分をよく取り、安静にしたら回復は早く、生理も来たので汚血も流れ滞りがとれたのか、今朝は躰のどこにも痛みはなく起床できました

最近、うつ病の人が増えているとの話を前よりもよく耳にするようになりました

鬱病でも、偽鬱病で生活保護を働かないでもらいたいとか、周りに同乗して貰えて仕事がさぼれたり、同じ給料でも仕事量が減らせるからとかいう人もいるようで、ほんとうの鬱病の人が苦しまないで良いような世の中になると良いとは思います

非正規雇用の人は鬱病になるとすぐに仕事をきられてしまうので、心をごまかして限界まで頑張ってしまう人もいます

自分がやらなきゃ回らないと責任感の強い人も、出来ない人のカバーをして頑張りすぎてしまう人もいます

休んでも良いし、休まないと逆に取り返しがつかなくなることもあるので、無理は禁物です

タイトルの悲しいと哀しいの違いですが、辞書などを引くと出てくるので知っている人もいるかとおもいますが、悲しいは自分自身に向けて、哀しいは他人に向かって使います 例えば、失恋をして悲しい 友達が入院して哀しい といった感じです

哀しいは、あわれ とも読みますから、哀れな人とかそういう使い方もするでしょう 同情をするときに使うのが哀れと憐れです

なので、同情よりも同調する方が実は危険で、相手の哀しいを錯覚して自分の悲しいになってしまい、同調してしまった時はとても危険です

哀しんでいる相手を元気づけたいのに元気づけられなかった自分を攻めて悲しくなるのは良い事ではありません

鬱病はだいたい悲しいから始まる事が多いです

自分の存在意義が分からなくなった、自分の価値が分からない、悲しすぎてどうしたら良いかわからない

悲しいは非ずという漢字の下に心ですので、心ここに非ずで、自分がどこかに行ってしまった状態なので、自分を取り戻すことが大切

哀しいは、なべふた冠に口に衣からなべふたを取ったのがくっついている、 衣の間に口が入ったといったほうが、簡単でしょうか? なので、まだそこには衣中に心が隠れて、口と服に蓋をしているだけです

口と洋服を着た人がそこにいて、ふたで口と服に傘をさしている感じなので、人から干渉されないように、これ以上傷つけられないで済むように、相手からの攻撃も防御出来ているように見えます

相手から哀しいと思われようと自分が悲しくなければ問題無しの状態

人の事は、本人にしかわからない世界がありますから、どんなに哀しそうに見えても本人が悲しみに暮れすぎていなければ、そっと近くに寄り添うだけで大丈夫です 必ずその優しさや思いやりは相手に届いていますから

でも、悲しみが深い人の場合は、相手のタイミングをよく観察しないと下手な同情は危険な場合もあります

無理に外に連れ出すのも負担をかける事もありますし、何かに挑戦させてしまうのも、出来ているのに、自己否定が強いと出来ていないと感じたり、やっぱり自分はダメだと落ち込ませてしまう事もあるから、元気を出したいと思って無理に何かをやらせるのも危険な事もあります

本人がやりたいと思ったら、その行動をほめる、自信を取り戻す、自分自身を取り戻す事が先決です

本人の経済的な余裕の範囲で色々やれるなら、色々やらせてあげて、自信をどんどん取り戻させて、心を取り戻させてあげるのが良いでしょう

でも、やりたがっていない人間に無理やり行動を起こさせると、上手く出来なかったときが余計落ち込んでしまうので、その日できた事を少しずつ褒める事が何より大切です

歯磨きだって、腕を動かすし、口をゆすぐし、当たり前に感じていても辛い時には大変な動作なので、それができているのは凄い事

生きているという事は何かしらをやっているのだから、凄い事です

自分で自分をほめる事を忘れない事は何より大切で、悲しすぎるという事は、非難しすぎているから、間違いはないのに間違いを探し、自分の過ちを探しすぎて、自分で自分を非難しすぎるから心が悲しくなる

誰かが自分を攻めたとしても、自分に間違いは確かにある場合は間違いを認めて成長できる機会を下さってありがとうごさいます

ですが、相手が勝手に妄想や自己都合や相手の腹の虫がおさまらないタイミングにその相手の目の前に自分がいてしまったせいで腹を立てられて責められたと感じるなら、自分を非難しない事

でも、それと同時に相手の事も非難しすぎない事が大切

心の中で思った事は口に出さなくても脳内で反響して自分に帰って来やすいから、脳内で「ありがとう」で変換する

この人、私には本音を言えるんだ、私には安心して嫌な事を言ったり嫌な態度ができるんだ、他の人には我慢して良い子や良い人のフリしているんだろうけれど、それを私には出しちゃうんだね 可愛い奴だな、くらいのほうが自己防衛になります

イラっとしてこのやろうって思うけれど、その言葉を相手に言えずに脳内で反響させて自分に返して自分を知らずに傷つけているなら、「あっそ」くらいに思っておいた方が無難な事もあります

なので、「ありがとう」「可愛い奴だ」がどうしてもできないときは「あっそ」で自分に悲しみをためないように気を付けた方が無難です

自分で自分を攻めてしまう、どんな事も自分事として捉えがちな人は、変な人や理不尽な人が増え始めている、ストレス過多になりやすいこの社会では心を閉じ込めてしまい、悲しみがたまってしまいやすくもなるでしょう

イーロンマスクの様に、働かない金食い虫は解雇だぁぁぁと日本企業はなかなかやりません、役員報酬がいように高過ぎるまま、自社が傾いている事にも目をつぶってしまっている会社の方が多いです

日本企業は働いている非正規や、素直に言う事を聴ける頑張り屋さんに無理をさせすぎて、働かない世渡り上手に平気で報酬をだしていますので

イーロンマスクの改革を、社員を守れない会社は良くないとか、マスコミがミスリードして、悪口を言わせようとしています

だって、政治だってそういう仕組みなのだから、こういう改革が日本にも入ってきたら親の七光りの人とか、天下りとかの人は居心地悪くて仕方ないでしょう

頑張っている人が理不尽な事で悲しみすぎて、自己否定しすぎて、怖がりすぎて身体も心も壊さないですみますように

悲しみと哀しみの違いを勘違いしないように

同情はまだ上から目線よりなので、同情される人の方が辛く、同情する人は心地よいでしょう、だから同情するなら金をくれって事で、同情しているから上から目線だからバラマキ政策をするのでしょう

同調してしまったら、自分達も落ちてしまうから、同調しようとしたら、庶民の生活を感じ取ってあげないといけなくなるから、同調は危険とある意味知っているから、私達に同調はしません

金持ち喧嘩せず、ではなく金持ち同調せずなのでしょうね

相手の気持ちを分かりすぎてしまう人、同調しすぎてしまう人、悲しみをため込まないで、自分を取り戻して、その優しさを活かした生き方をして、絵が好きなら絵をかいたり、本が好きならたくさん本を読んで、その本から学んだことを人に伝えたり、動物が好きならたくさん動物と触れ合って、好きをたくさんして、その好きが自分の仕事や生活に繋がる支援をしてくれる、そんな政策にこの国が変わっていきます様に

躰をほぐして、隙を少し作る事も、好きを作りやすくなるでしょう

骨盤は調整するものではなく、本来はリリースするものですから、骨盤調整よりも躰を緩める、肩甲骨ははがすものではなく、その人の適正な位置にいる事が本来であり、肩甲骨はそもそもはがれているものです、あごも外れるのではなく、硬いから変な状態で固定されてしまった事を外れると表現しているだけ

女性は特に直感が男性よりも強い性質があります、それは頭と骨盤がリリースされていればいるほど働きやすくなります

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直感が働けば、危険な事はしません 自分の躰に何を入れて平気かわかりますから、少し入ったとしてもすぐにわかってリカバリーできます

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躰も心も表現やただの漢字一文字、ほんの少しの違いで勘違いが起きて、見落としが起きてしまうだけ

今やった方が良い事、今それをやると逆に焦りすぎ急ぎすぎだから、次の段階でね、が良い事の見極め次第で未来は変わります 焦る必要なんて全くありません

本当の自分の気持ちを知る、自分を見つめる

自分を取り戻して、心を取り戻して、自分の好きをたくさん見つけられる人が増えます様に