先日まで、大阪にいました。天気予報では私のいる間は雷雨との予報、少しテンションが下がり気味での出発でしたが、私が外にいる間は不思議な様に全く雨に降られませんでした。毎日が奇跡の連続です。でも奇跡というより当たり前の結果なのよ、と大阪講習の先生は言っていました。努力しないと結果もつかないと頑張っていましたが、あなたは天才だから努力しないでももともとうまく行くのに、努力したから逆行したこともあるんじゃないの、との意見も、確かに、運だけで生きている感がムカツクと若い時に言われたことがあり、それが気にかかりすぎて努力を始めましたが、若いころの方が色々スムーズだった気がします。思考って不思議です。ポジティブに私がラッキーで天才なのは当たり前と捉えようと思います。根深い思考癖はまだありますが、少しづづブロックがはずれています。心の断捨離って気持ち良いな。
では、今日は不登校について、また新たに学んできた点をここでシェアしていきます。
- ~今日のテーマへの目次~
- 1不登校っていけない事なの
- 2なんで不登校になるんだろ
- 3親子関係(保護者関係)と不登校
- 4周囲との関係性からの不登校
- 5どうすれば不登校はなくなるのか
- 6現実への向き合いと鏡の法則
1.不登校って夏休みやGWなど長期連休明けがもっとも発生するらしいです。で、ニュースや色々な場所でのコミュニティでは不登校を解消しようとか、不登校は悪みたいな言い方をします。義務教育だと余計ですね。教育の義務があるから子供が行きやすい学校運営を学校側はしなければいけないと教育者も最近は大変なようです。学校は行きたくないなら行かなきゃいいと私は思います。義務教育なら、学校に行かないでも勉強ができれば良いのだと私は思うのです。その場所が学校じゃなくてもフリースクールでも地域のコミュニティでも、決めつけすぎなければ良いと思います。メディアや周囲の思考の刷り込みで不登校はいけない事という定義づけがあります。いけないという定義づけをすると、人はいけない事をやりたくなるか、いけない事は悪だからちゃんとしなきゃと定義づけの方向性で行動を決めてしまいます。何かをいけない、悪だとするのではなく、どっちでも良いんじゃないで良いのではないでしょうか?行きたくないなら行かない、行きたくなったら行く。ただそれだけの事。大人が刷り込むのではなく、子供が決めることが大切です。毎日学校が大好きで行く子もいるのですから。
2.なぜ不登校になるんだろうって考えたことありますか?考え出すと人って自己防衛で人のせいに考える癖があります。だから、不登校の原因を学校側や、学校にいる児童、自分の大切な子供以外に原因を見出そうとします。でも、よく考えて下さい。学校に行きたくても行けなかった子供がいた時代もありますし、体罰教師やいじめっ子が多くいて、体中ケガだらけでも学校に行きたいと言ってちゃんと学校に行っていた子供がいた時代もあった事を、確かに今は、それを見過ごすと自殺や他殺になってしまう事もあります。でも、本当に子供も大人も強く生き、人との絆がとても強かった時代には、不登校は病弱すぎて学校にいけないとか、働かないといけないとか本当に事情がある子供にしか起こっていませんでした。今は、時代が変わりすぎてメディアで自殺を取り上げたり、それを見て自分の子供を守りたくて不登校に導く親もいます。私は現在40歳ですが、不登校になってもおかしくないような小学生時代を過ごしましたが、不登校ではありませんでした。ずる休みは時々しましたけれどね。義務教育や集団教育をちゃんと受けられたのは恵まれていたからだと今では思えます。親が過保護すぎて「学校いくの辞める?」と言っていたら、私は学校には行かず、関われれた人が少ない過去を持ち、周りの気持ちを今より考えてあげられない人間になっていたと思います。不登校のほとんどの原因は、子供側ではなく、大人側にあるのです。いじめっ子がいる、ならいじめっ子の親に原因があります。教師が悪い、それは無視するのが得策です。私の小学校時代の担任は、私を嘘つき扱いして、みんなの前で嫌がらせをしたことがあります。女子生徒は優しい子が多かったので救われましたが、担任と一部の男子生徒で一緒になって私に嫌がらせをしてくることもありました。でも、学校には行っていました。女子より当時は精神年齢の低い男子児童や無知な教職免許をふりかざしているだけの大人にどう思われようと私は私です。また、今になって思うと、育った場所で知り合う人とは何らかの因縁がある前世がもしもあるとするなら、カルマの解消カモしれない、なのに学校に行くのを避けたら、せっかく集団で一気に解消できるカルマの解消をするチャンスを逃してしまう、魂レベルでの成長を避ける、それは勿体ない事だとも考えられます。不登校の原因のほとんどは、大人の無知さにあります。自分の子供だけが特別と思いすぎています。または、自分たち親子だけが特別だとか、みんな人は特別な存在です。教師が悪くても良いクラスはあります。逆に、学級崩壊していたクラスが担任が変わったことで良いクラスになる事もあります。すべての人を特別と思えて、愛のアルパワーの強い人が集団の中に一人でもいれば、集団は変わるのです。不登校の原因は他者理解の無さ、孤立と自立を勘違いしている所にあるのです。
3.不登校をからませて鏡の法則を教えてくれている野口嘉則さんの本がありますが、あの中では、母親の心がクリアに変わったことで、子供も変わり、学校に元気に子供がいくというストーリーがあります。親子はとても強い絆で結ばれています。親が変わると子供はとても変わります。子供が大人になった時に、子供の方から変わると親が変わるという事もあります。子供の頃は大人が主体の事が多いので、まずは親から変わってあげる事が大切なのです。親の思考癖、ネガティブすぎる思考癖や、自分を特別視してほしすぎる承認欲求癖など、強すぎると子供を追い詰めているのです。子供は親の喜ぶことをしようとします。愛を強く求めているのです。最近はSNSの普及から、承認欲求の強すぎる人が増えています。自分で自分を承認して肯定していないのに、他人からの承認を求めても、心の空しさは拭えないのです。子供が自分から自立していくのが不安で学校どう???と聞きすぎる親もいます。自分の子供を特別視してほしすぎて、学校側に、うちの子はこういう所があるので気にかけて下さいと言いすぎる親が増えています。良い教師にとってはすべての児童が特別なのです。質の悪い教師にとってはすべての児童が面倒くさい親の子供でしかありません。子供は、ちゃんと本当の親友を見つけたり、自分の居心地の良い場所を学校内で見つけています。それを親や周囲が奪ってどうするのでしょうか???全ての児童を特別な存在クリスタルの輝きある児童としてクリスタルチルドレンとして見て下さる教師がいるかもしれないのに、親が先生にいろいろ言いすぎて、先生のメンタルを落としてどうするのでしょう。良い担任にするか、悪い担任にするかも、保護者にかかっている場合もあるのです。親子、大人と子供との関係はとても大切です。
4.親が周囲との人間関係が嫌で、子供が学校に行かなくなれば、PTAやらママ友の付き合いから離れられると、子供を不登校にしてしまう人もいます。今は、SNS友達で嘘のイイネ押し合いゴッコで承認してもらえる世界や自分の世界を築けるから、リアルな近所付き合いや、面と向かって付き合う世界から逃げてしまう人もいるのです。善悪まるっと個人なのです。自分に必要な人が自分の目の前に現れるのです。そこから逃げてどうするのでしょう?逃げるとずっと追いかけられます。だから、痛みや苦しみを自分から招いているのです。そこから逃げたくて子供まで引き合いにだすと、子供がとても可哀想です。親の思考が子供の現実を作っている可能性を考えてあげて下さい。周囲に攻撃的な親は、いじめっ子を作る可能性があります。親の攻撃的な行動を止めたくて、自分がいじめっ子になって目立つことで、親の目を自分にひかせて、親のめんどくさい性格を子供が自分への注意関心で引き留めるパターンもあります。子供は親に見て欲しいのです。気にかけて欲しいだけなのです。それこそ承認欲求の強すぎる親の子供は自立している親の子供よりもその傾向が強いです。自分の行動や、スマホにかじりついている、周りの目を気にしすぎている時間配分がどうなのかを考え直してみましょう。
5.では、そういった親が減れば不登校はなくなるのでしょうか???親が変われば子供は変わります。ですが、世の中から完全に不登校を無くすことは出来ません。親がいない児童や、無国籍児童も世の中にはいます。日本経済が発展して、良くなっている様に見える反面、貧富の差が激しくなっています。最低賃金を上げて行く事で、人を雇える職場が減る可能性もあります。最低賃金に準じた働きぶりを出せる人しか雇わなくなるでしょう。使用期間を設けて、能力の発揮できない人は使用期間内で切り捨てだしたら、働く場所が無くなってしまうでしょう。そんな未来も予想できるのです。消費税を上げるから、最低賃金を上げる考えは、打開策にはなりません。すぐれた人しか残れないようなシステムに移行している背景には承認欲求の強すぎる人を生み出し、自己肯定感を下げてしまう人を作り出してしまうであろう未来も見えてしまします。政府改革がもっと人の心の奥まで考えた改革作りをしなければ、世の中の根本の本当に変わって欲しい側面は変わりません。ですが、もっと我がままに私たちの心が変われれば、変わった人から素晴らしい未来が築けることは想像できます。(注:我儘と自分勝手は違います。我欲を捨てられた時が裸の心の本当の自分、我のままになり、捨てられないと自分勝手です。)
6.一人1人が現実と向き合い、現実を否定しすぎない事がこれからの世の中には必要になってきます。自分に出会う人は、自分に必要な人、自分と向き合えた時に、鏡が綺麗に曇りがなくなり、曇りない人と出会えて、周りも曇りなく変わっていく、鏡の法則を活用するには、まずはしっかりと自分と向き合う事が大切なのです。人は、否定を否定するから、余計ネガティブになるのです。否定を全て受け止めて、自分の考え方も肯定できたときに、どんな人との出会いも、現状の自分も全て必要で必然だから起きていると思えます。嫌だーとのたうち回っても良いのです。みっともない事から逃げたり、みっともないと思う人を否定したり、あの人は波動が高いとか、低いとか、善悪付けたりするから、苦しくなるのです。善悪つけるから、そういう人が周りによって来るだけです。みんな自分が生きやすいポジションで生きているだけです。心や意識は安心、安全を求めているだけなのです。今の生活を否定しながらも、実は今の生活が安心で安全であるから今の生活がなり立っている可能性もあります。だって、シンデレラのように一夜にして現実が変わってしまったら、逆に怖くないですか???多分慣れ浸しんだボロ屋を恋しがってしまう時も出そうです。その心の動きのメカニズムをちゃんと理解していないから、人は揺れ動くのです。周りを気にしすぎるから、揺れるのです。今の生活にあった人が周りにいて安心、でも変わりたい、でも変わってしまったら、今の周りとの関係も崩れるのではないか、とか思うだから人って謙遜するのですよね。太って肌あれブツブツだった自分が痩せて綺麗になったら友達が変わっちゃう、友達にひがまれちゃう、それが怖いから、今のぽっちゃり肌荒れでも愛されキャラな自分でいようとする人もいます。それを肯定できているなら良いのです。健康のために痩せて肌荒れも解消したいなら、そうすれば良いだけ。変われた後に、せっかく変われた自分を否定するからリバウンドしたり苦しくなる。それだけ。ただ、自分の問題は自分の事だから自由です。すべての事には理由があるのですから。不登校も、不登校に子供がなる事で、どこか安心している自分自身はいませんか?もしかしたら、お子さんは、学校に本当は行きたいのかもしれません。でも、親が行きたくないという自分を愛してくれるなら、不登校ネタを親が持ちたいなら、子供は不登校でいる事を選ぶのですよ。不登校は親子の問題、社会環境、周囲や大人との問題、子供だけの問題ではないのです。もしも、不登校カウンセリングを受けるなら、親か、保護者がしっかりと自分自身と向き合う覚悟を決めてからにする事が大切です。