大丈夫 夜明け前が一番暗い 

最近の2日間は、日中は暖かく過ごせてとても心地が良かったです。

世の中の景気の影響でお出かけを控えている、もしくはまだまだ価格高騰が激しくなりそうだから、行けるうちに今のうちに出掛けておく、という人もいるかとも思います。お出かけを控えている人は、たぶん思い切らないと今後ドンドン出かけなくなると思うので、出かけても良いのでは???とも思います。

動かない人には何も来ません、運動って言葉があるように、運んで動かないと流れはずっと停滞したままでしょう。

コロナ渦でどん底を味わった人もいるでしょうし、逆にピンチをチャンスにでコロナ過の方が今までよりも良かったなんて人もいたかもしれません。

ただね、仕組み的に世の中は陰陽で成り立っているので、ずっと良いって事もずっと悪いって事もないのです。ずっと悪い人は、悪い事から抜け出す方法を知らずにいるのかも知れませんけれど、悪い状況は抜け出せます。

ただし、抜け出しても良い状況にずっと慣れてしまうと、悪い状況が来ることもあります…学び続けられるように、人生が楽しめるように、そうやって起承転結がたくさんあるようです。だれもが人生の主人公だからこそです。

素直に、堂々と、生き抜ければ大丈夫でしょう。

健康な人が不健康になる事もあるし、不健康な人が健康になる事もあります。先天の氣、後天の氣とかいう言葉もありますが、生まれ持ったエネルギーが低くても本人の行いや努力で克服できることもある。でも、生まれ持って健康に恵まれていても、暴飲暴食や、不摂生をしていたら、生活習慣病になる人もいる。

だから、本人次第の行動とご縁でずっと暗闇にいなければいけない、なんてことはないのです。

色々考えるのメンドクサイって場合は、良いと悪いの判断をしないのが一番良いのですけれどね。

判断をして行動を躊躇して、何もしないでいるくらいなら、嫌われる勇気でも何でも良いから勇気をもって行動するほうが、あれこれ考えて判断するよりも悩んだ時ほど結果から学んだ方が早い事もあります。熟考できる人は熟考もありですが、考えるのメンドクサイ人はとにかくやって、失敗して、ってずっと成功するまで動く。

考えるの苦手、何かをする時間も資金もないって人には、行動し続ける事が実は、楽に生きるコツで、一休和尚は晩年ドスケベでどうしようもない人でしたが、あのかたは善悪の判断を本人が抜け出していすぎたから、周りも理解してくれていたところもあり、悪ぶれずに悪い事をしていたので、通用してしまっていたところはありました。悪を悪としない、善を善ともしない、ただ自分が思うままに自分がやりたいと思った事は即行動、言いたいと思った事は素直に発言、悟りの境地だったのでしょうね。

人間は感じ方、考え方が変わると、行動が変わり、付き合う人も変わります。友達がガラッと変わって、世界が変わったという人も世の中にはたくさんいます。友達に悪く思われたくない、変な事を陰で言われたくないって何にも変えようとしない人は、ずっと何も変わりません。

非常識になれと言っているわけではなく、ちゃんと自分が何を望むのかを聴く、どうしたら人生がより輝くのか、採光を放ちながら進めるのか、周りの音に耳をすます、そういう事の積み重ねが結果を変えるのかとも思います。

私は最近夜明け前から差し込む小さな光の気配をとても感じています。コロナはそろそろ開けるでしょう。そして、次のステージへとみんなが強制的に向かわされていく気配を感じます。

情報はまだ真実を見つける事は難しく、判断も難しく、時に間違えて右往左往してしまう人や状況もまだまだ続くかとは思います。

でも、コロナに関しての夜明けはすぐそこに感じます。

私は、音叉を使う事が時々あるのですが、メニューには大々的に載せていないのと、土地柄的に情報ツウな人はいない土地なので、載せても解らないだろうなって感じで載せずに、お声をかけて下さったちゃんとわかっている人には必要な時に使う事はしています。

田舎なので、狭いコミュニティでの雑談や、テレビを見て時間を潰すとかの人が多い土地柄的な問題で、どうでも良いようなうわさ話とか、芸能ネタとか、嘘だらけのマスコミ情報、テレビ番組の情報に対しては色々知っているっていう人はたくさんいます。

でも、ちゃんとした事を知っている人は本当に少なくて、私のお店のお客様はちゃんと価値の分かる人だけが利用して下さっているという感じはします。

メニューだけを見たら、どこでもやっている事が乗っているし、値段もどちらかというと初回は他店より高く、リピーター価格を設けてちゃんとわかる人にだけ通ってもらおう、という設定にしている所もあるので、初回の飛びつきはとても低いとは思います。

だからこそ、決断してくる人は知識が多かったり、色々な情報や色々な事を知っている人が多いです。

分かる人には分かるのでしょうね。都内で私のお店でやっている事と同じくらいの体験をしようとすると、私のお店の倍以上の額をださないといけない場所もあるようで、知っている人は他の人が選ばないようなメニューを選ぶ方も稀にいます。

私の音叉はその人の状況に合わせた使い方をするように心がけているので、マニュアル的ではありません。

また、昔色々と教えてくれた先生が、テクニックを習ってマネするのは誰にでも出来る、けれどなぜそのテクニックを使うのか、それを使う時に指導者はどういう心理状況、どういう思いを対称者にむけて行っているのか、もっと裏に深い理由があるのではないか、掘り下げて習った事だけをやるのではなく、習った事の先まで見つめないと、どんなに勉強をしたり、テクニックを覚えても、身に着かないどころか、マイナスになると教えてくれた先生がいますので、そういう所は本当に気を付けられるからこそ、習った事だけをやらずに、秘術的な他人がマネできない仕事が出来て良かったと先生に感謝しています。

大抵の先生が、習った事を忠実にやりなさい、と言いますからね。

人によって変わるのが当たり前、自分の感覚を研ぎ澄まし、磨かないとなぜそれをやった方が良いのか、そこにたどり着くのか、応用ができなくなる、わからない人には何をやっても解らないし、伝わらないし、逆に拒否反応が出る事もある、人間は治りたい、良くなりたい、と言いながらも、改善しない人もいるからと言っていたこともあります。

かまってほしい、寂しい、憤りの無さを抱えている、そういう人はずっと、痛いから躰を大切に仕事を止めれば治るだろうと仕事をやめたのに、無理せず過ごしているのに、どこか痛いところがまだある、ずっと転々と痛みの対処を探して歩き続ける、夜明けが来ないと嘆く、という事はあります。本人が心底ではそれを望んでいるのだから、仕方ないのです。

お金の問題もあるでしょうけれど、お金の問題を抱え続けたいからお金の問題でこれだけの事しか自分には出来ないという制限も作り、そういう場所にしか行き続けられない自分を生み出して、気持ちも晴れずに過ごしてしまうのでしょう。

私は整体以外の改善策が必要そうな人にはアドバイスもする事はありますが、改善策を提示しても、その策を馬鹿にして取り入れない人もいます。

夜明けが来ているのに、光が出始めていて、その光に向かって起き上がれば良いだけなのに、一歩踏み出せば良いだけなのに、わざわざその一歩は自分で遮光カーテンをするという逆の行動に出て、逆の道を歩き出し、日が差している時に寝て、暗くなったら遮光カーテンを開けてまだ暗いと彷徨い続けるのでしょうね。

夜明けは必ず来る、自分が夜明けを望み、光に向かえば乗り越えられる。ならば、自分から向かえば良いだけ、もう暗闇に閉じこもる時代は終わりです。

暗闇にいる自分に早く気が付けます様に。

気が付いた人から変われるだけのシンプルな世の中なのだから。